ボイスドラマ活動者インタビュー企画「ボイドラと人」

「ボイスドラマ」をテーマに、インタビュー記事をメインコンテンツとして配信しています。今後、ボイスドラマに関わるイベントや新作の告知、作品紹介コラムも増やしていく予定。

【コラム】『ボイスドラマ』の歴史

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言葉にすると仰々しいですが、今回は、ボイスドラマの歴史と銘打って、ボイスドラマの変遷をざっくりとおさらいしていきたいと思います。
 
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<目次>

第一章「ボイスドラマとは」

「ボイスドラマ」という言葉が使われ始めた時期は不明確だが、2000年代後半から広がり始めたと言われている。元々は、音声のみのメディア上で制作された物語・ドラマを表現した「ドラマCD」や「ラジオドラマ」よりも同人的なニュアンスを含んだ言葉として使われていた。また、オーディオドラマや音声劇サウンドドラマなどなど数ある音声作品の呼び名の1つに過ぎなかった。それが有名なアニメ番組のサブコンテンツとして、ボイスドラマという言葉が使われるようになり、アニメ好きにも知られるようになってきたのだ。
 私は30代だが、それよりも上の世代、40~50代以上の人には、「ラジオドラマ」や「放送劇」、「オーディオドラマ」の方が馴染みがあるかもしれない。「ボイスドラマ? 何それ?」という人も、インターネットで公開しているラジオドラマのようなものだと説明すると、ああ、なるほどと納得する人もいる。逆にそれよりも若い世代だとラジオドラマから説明しなくてはいけない羽目になることがままある。
しかし、「ボイスドラマ」とは、それ以前からあった「ラジオドラマ」、「ドラマCD」とは、違うものなのか。ラジオドラマもドラマCDも依存するメディア(ラジオ、CD)を名前に冠しているところから、ラジオやCDという媒体を使わずに、インターネット上で公開される作品に対しての名称に困った結果、ボイスドラマという表現を使ったように見受けられる。少なくとも、ボイスドラマがインターネットをメインの作品公開の場としているところから、「インターネット」という要素とは切り離せないと思う。そう考えるとボイスドラマという言葉が2000年代という時代に登場したことにも意味がありそうな気がしてこないか。
 そんな「ボイスドラマ」という概念と言葉が生まれた「背景」を今回は、特に同人創作という観点から見ていきたい。

第二章「音声作品の始まり」

 今回、「ボイスドラマ」の変遷を見ていくにあたり、小劇場演劇、日本文学、同人音楽、ゲームをメインジャンルとし、ポップポータルメディアの「KAI-YOU.net」にて「新世紀の音楽たちへ」という連載も担当しているライターの安倉儀たたた氏に話を聞いた。
「ボイスドラマ」の始まりの前に「ラジオドラマ」がどのように始まったのかご存知だろうか。日本初のラジオドラマは1925年7月12日に放送された歌舞伎の演目「桐一葉」だと言われている。当時はラジオ劇と呼ばれていたそうだ。桐一葉を放送した1ヶ月後、次は1925年8月13日に築地小劇場小山内薫が書き下ろした「炭鉱の中」という基は海外の作品を翻訳した演目をラジオで放送した。真っ暗な炭鉱が舞台の作品で、音だけを頼りに物語を追っていくラジオドラマにはぴったりの作品だった。これがラジオドラマの初の本格的な作品とされている。
 今では厳しいラジオ業界ではあるが、当時はテレビもインターネットもなく、今ほどは娯楽の少ない時代である。ラジオドラマは意外に金になると判断したNHKは、当時、脚本一本に500円を払ってラジオドラマの脚本を書かせた。それゆえ、ラジオドラマは500円芝居と呼ばれた。今で言う25万円に相当する金額だ。当時では大金である金額を払ってでも、次々とラジオドラマは作られていった。
 音声作品は何度か人気に火がついた時がある。それは声優ブームとは無関係ではなかった。その1つが、1970年代に起きた第二次声優ブームだ。『キン肉マン』、『北斗の拳』、『シティーハンター』などで人気を博した神谷明さんなどがこの時活躍した。アニメの制作数が急激に増える中、2000年前後に声優のみが分化し、専門スクールや養成所が生まれ、声の演技に特化した役者が増えた。第三次声優ブームが起きたのもこの頃だ。

第三章「2000年代より前の同人音声作品」

 同人のいちジャンルとして「ボイスドラマ」という言葉が認知され始めたのは2000年代と言われている。では、それまでは、同人創作ではどのように音声作品は認識され、作られていたのか、サークル立ち上げから2018年で30周年をむかえる音響劇団RBCに1980年代から1990年代頃の創作事情を聞いた。
音響劇団RBCは高校時代の放送部出身者を中心に結成したサークル。高校時代は生放送版ラジオドラマとでも言うのか、その場で演じて放送する、演劇の生放送に近いこともしていたそうだ。
「収録もしていましたよ。最初はオープンリールを使っていました」
オープンリールとは、テープを巻いたリールがむき出しのまま存在している録音・再生機器だ。カセットデッキと比べて高価な機器であるため、家庭用として普及していなかったが、それを所持しているとは放送部ならではかもしれない。だから、高校を卒業し、サークルとして活動する時に使用したのはカセットテープであり、その頃、他のサークルでも使われていたメディアは、カセットテープだった。
「その頃もコミケはあって参加していました。今は、『デジタルその他』の中にボイスドラマのジャンルがあるけれど、昔はバラバラで、自分たちは創作少年というジャンルにいましたね。周りが冊子を並べている中、カセットテープを並べていましたよ」
だから、カセットテープに何が入っているのかわからず、これは何ですかと聞かれることも多かったそうだ。また、音響劇団RBCの「音響劇」は造語だ。元々が放送部であったがもはや放送をしないため、ラジオドラマの別名「放送劇」の「放送」を「音響」に置き換えて『音響劇』という表現にしたそうだ。
「その頃はまだボイスドラマなんて言葉ありませんでしたからね」
 他の音声作品を扱うサークルでも決まった呼び名はない状態だった。
 収録・編集方法も今では、PCと専用のソフトを使い、デジタルでほとんどの作業が可能になっているが、当時はそうはいかない。収録も編集もアナログで行われていた。
「一番初期は全部生で収録していました。効果音やBGMを全部テープに録音して用意して、複数のカセットテープデッキを用意しておきます。そして、役者がマイク前で演技をして、その場で音効さんがタイミングに合わせてBGMを流すんです」
次第にセリフは別収録になり、録音したセリフに変化していったものの、実際に生でタイミングを合わせて効果音を流し、録音する手法はしばらく続いたようだ。ただ、他のサークルも必ずしも同じ手法をとっていた訳ではなく、RBCは生で掛け合いをしたいという理由からこの方法をとっていたらしい。
 他のサークルでは、過去の音楽バンドのようにMTR(マルチトラックレコーダー)を使用しているところが多かったそうだ。MTRはミキサーと録音するデッキを合わせた機器だ。それでまでは、効果音を出すデッキ、録音するデッキ、マイク、などと複数の機器を別立てで準備する必要があったが、MTRで少し集約できるようになった。最大8トラック収録することができ、セリフで1トラック使い、効果音を他のトラックに入れて調整していく。デジタル化されたDAWでは、何百トラックと作ることができるため、今では、セリフや効果音、BGMを細かくトラック分けして、微調整ができるが、MTRでは8トラックまでしか使えない。そのため、ピンポン録音(トラックが足りない際に複数のトラックをミキシングして別トラックに録音すること)で空きのトラックを作り、別の録音をするという作業を繰り返していたため、ピンポン録音してしまった音源は編集が出来ず、また、バックアップもできないという、後戻りができない状態で創作を続けていたそうだ。今では音楽のDTMをドラマでも活用し、上記のような方法をとることはなくなった。
 このように音楽バンドの機器と収録環境の向上は音声ドラマ作品作りにも無関係ではない。DTMの登場もそうだが、収録場所においても、この頃、公共施設に音楽バンド用の音楽スタジオが付き始め、RBCでもこのような施設で収録をしていたそうだ。
先程、RBCは演劇よりだったと書いたが、音声ドラマサークルの系統は当時、演劇系とアニメ系が多く、演劇系は、RBCのように放送部や演劇から入り音声作品を作り始めた人たちだが、アニメ系はアニメのドラマ編という、いわゆる、アニメの音声だけを収録した作品をきっかけに音声作品を作り始めることが多かったようだ。アニメ編は、本当にアニメから映像を除いただけで再編集も補足もないため、音声だけを聞いても第三者には理解ができないという代物だった。

第四章「2000年代以降のボイスドラマ」

「ボイスドラマ」という言葉が広まり始めたのが2000年代後半と書いた。それを具体的に示すのが、世界に誇るオタクの祭典コミックマーケットのジャンルコードに「ボイスドラマ」が追加されたことだ。2005、2006年くらいにはボイスドラマという分類が見られたという。
「ボイスドラマ」には、それまでのラジオドラマやドラマCDとは異なる「アマチュア」による「共同作業」の要素が多分にある。安倉儀氏によれば、そんな「ボイスドラマ」が2000年代に生まれたことに対して、「技術的な面と内容的な面、2つの側面から見ていく必要がある」という。
 まずは、技術的な面。ラジオドラマに必要なのは、録音技術と機材だった。録音技術と機材が揃っていれば、スタジオに演者が集まって収録すれば、ラジオドラマは作成できた。
 しかし、同人・趣味から生まれたボイスドラマは必ずしもそういう訳にはいかない。一箇所に参加者が集まり、収録するという手法だけに限定されていたならば、ここまで広がることはなかっただろう。地方に居住している人も参加することが出来る手法、つまり、みんなが一同に集まらなくても、ばらばらに収録し、つなぎ合わせれば、作品が完成できることが必要だった。そのためには、みんなが同程度の収録機器を持ち、それを使いこなすという「みんなが使える」という壁を超える必要があった。それが可能になったが、ここ十何年のことなのだ。みんながSM58のような一般的なダイナミックマイクが使え、ノイズ処理や波形編集ができるソフトは4000~5000円で手に入れることができるようになった。無料のソフトでも、最低限の機能が付いていて使い勝手の良いものが存在する。使用者の多いAudacityの初版が出たのは2000年のこと。
また、収録した音声データの共有やその他の連絡を円滑に行うには、インターネットの存在がなくてはならなかった。過去には音声のやりとりを文通でしていたという話も聞かないではないが(それもテープに吹き込んだ音声を完成作品として送るだけの手法だ)、分業で収録をし、編集をし、サイトもしくはCD用のイラストデザインを複数のスタッフによって行う。それが可能になったのはインターネットで伝達スピードが上がり、伝達コストが下がったからに他ならない。
作品の公開方法にも変化があった。先に書いた通り、自家通販によるCDやカセットテープの送付、イベントでの発売しか方法がなかったのが、公開技術が上がり、個人ドメインを取得したサイトで広く公開することができるようになった。podcastYouTubeニコニコ動画などのポータルサイト、動画サイトなども次々に生まれ、公開場所に事欠かなくなった。
 収録技術、インターネット、公開技術、この3つの壁を越えることが出来て、ボイスドラマを作ることができる。個人がこれらのことが可能になったのが2005年以降だ。また、以上のような変化により、サークルが劇団のように役者を抱える必要がなくなり、居住地や年齢を問わず、作品毎に人を集めて、完成と同時に解散するというスタイルが増えた。
 次にボイスドラマの内容的な要素を見ていきたい。一言で言ってしまえば、「ボイスドラマは女性カルチャーの色が強い」というのが安倉儀氏の所感。ボイスドラマというジャンルが認識され始めた当初と比べて作風の幅が広がったため、現状の作風に関しては、議論の余地はあるものの、当初は企画者も女性が多く、女性が好む作品を自身で脚本書いて作るということは多かった。女性の好むモチーフが使われた作品も多く、例えば「不思議の国のアリス」はよく題材として扱われる。
 この女性文化の影響としては、2000年代には黒歴史問題があったという。つまり、同人活動時の作品を子どもに聴かせられない、そのため、結婚や出産、子どもが成長し5歳くらいになるとネット上の作品を消してしまうという事象が多発した。
「ボイスドラマ」というジャンルが2000年後半からコミケで認められたのは先に書いた通りだ。技術的な向上からボイスドラマが作られるようになり、「同人では、2007年や2010年に盛り上がっていた」というのは安倉儀氏の言だ。実際にボイスドラマで活動する人の中で大多数を占めるボイスコ(ボイスコーポレーターの略称。つまり、声を提供する演者だ)で、10年以上活動をしている人が開始時期として挙げることが多いのが、2006年、2007年頃だ。
 盛り上がりの1つの指標としているのが、音系メディアミックス同人即売会M3でのサークル数だ。数ある即売会の中で、音楽や音声ドラマ、ゲーム、効果音など音に特化した即売会であるM3に参加するボイスドラマサークルは多い。2010年にサークル数は急激に増え、多少の上下はあるが、右肩上がりを続けている。2010年代の盛り上がりにM3のオフ会機能が無関係ではないと考えている。同じ作品に関わるなどネット上で知り合い、普段は顔をあわせることのない知り合いに挨拶をするということが作品を買うのと同等の目的になり始めた。現在では、スタッフ・演者を公募せずに実際に会って交流があり信頼できる仲間内で制作するオフライン化が進みつつある。それによって質の担保された作品制作や過去に問題視されていた企画中止の減少が見られてきたように思う。
 また、即売会にボイスドラマサークルが集まるようになったことで、ボイスドラマを専門に追いかける聴取者たちも増えていった 。つまり、サークルや作品がオフラインの場に出ることによって、ネット上では積極的に作品を探さなかった人も作品を手に取るハードルが下がり、ボイスドラマを聴き始めるというリスナー側の変化も同時にもたらした。
 
 当初、オフラインで限られた地域、コミュニティで行われていた活動が、技術の進歩に伴いオンライン化、活動が拡大し、今度はまたオフラインに戻って来て新たな変化が生まれている。
 そんなボイスドラマの歴史をざっと振り返ってきた。
 もっと調査が必要な部分や議論を深めるべき点があることは否めない。その点は追々機会があれば書いていきたいと思うが、未だ曖昧な「ボイスドラマ」というジャンルの輪郭を把握する一助になれれば幸いだ。
 
取材協力
■音響劇団RBC
 
■安倉儀たたた
 

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幸橋(ゆきばし)
幸橋 (@kusanotsuki) | Twitter
ボイスドラマリスナー。
2009年よりボイスドラマ作品を聴き始め、2013年より開始した感想メモブログ「視聴note」にてボイドラ関連の記事が1,000件を突破(2018年9月時点)

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